2015年02月28日 BS-TBS 僕たちは昭和を生きた ゲスト 田中康夫 井上寿一(学習院大学学長)前編

ここに文字を入れるよ!

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◎後編はこちら

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「註の新たな註」
「いまクリ」と「もとクリ」、その記憶の円盤が舞い続ける時空。

ようこそ現在から1980年の東京、そして日本へ❣
「✽文庫本化に際しての、ひとつの新たな長い註。」でお約束した「註の新たな註」は、
両書に登場する「字句の解釈」に留まらず、
高度消費社会の幕開けから現在に至る時代背景を、
関連する僕の拙稿等も紹介しながら絵解きしていくサイトです。

 

昭和という時代を生きた若き日のあの感動はいつまでも私達の宝物

昭和という時代を生きた若き日のあの感動はいつまでも私達の宝物。今もなお第一線で活躍するゲストと共に人生の分岐点となった思い出の場所を歩けばまばゆいばかりの昭和の光があります。さぁ今週も出掛けましょう。

本日のゲストは作家の田中康夫さん。昭和31年生まれの現在58歳。東京に生まれ8歳から18歳までを長野県で過ごした田中さん。
昭和55年、東京に暮らす女子大生の生活を描いた『なんとなく、クリスタル』で作家デビュー。この作品が100万部を超える大ヒットに。作家として活躍する一方、2000年には長野県知事に就任。そして昨年、続編となる『33年後のなんとなく、クリスタル』を出版し話題に。

今回は、その出発点である『なんとなく、クリスタル』誕生までに迫ります。まずは、処女作誕生の地、母校一橋大学へ。

 

*

[野村]校舎も見えてきましたけど。

[薬丸]いやぁ。

[野村]レンガで素敵な校舎が。

[薬丸]林を抜けるととても良い景色ですね。

[田中]まぁねぇ、アメリカの西海岸のスタンフォードとかそういう大学のような感じだと。

[薬丸]えぇ。スタンフォード行ったことないですけどこんな感じなのかなって。

[田中]ふっふっふ。

[野村]イメージはこういうね。

[田中]これが講堂で、兼松講堂という、昔、兼松江商という大きな商社の人が寄附をしてくれたんで。

思い出される青春時代。東大受験を失敗し田中さんは一浪の後、一橋大学に入学しました。その昭和51年当時学生運動は収束に向かい、大学の雰囲気も変わり始めていました。

*

[田中]一橋に入った時に唯一のあれは、当時、新宿から最終の高尾行きってのが0時33分発なんですよ。

[野村]覚えてらっしゃいますね(笑)。

[田中]都内の大学だったらもっと身近に遊びに行く場所もあるのに、それだけがこの素敵な環境の中の大学に入りながらちょっと忸怩たる思い・・・みたいな。

[薬丸]勉強以外は何をなさってたんですか?

[田中]よくある家庭教師をしてたり。

[薬丸]アルバイトで頂いたお金でどこに行ってたんですか?

[田中]ま、それは、当時のガールフレンドとのデートの費用とか、あとはもう一つは、音楽が好きだったのでDJというか、銀座の4丁目の三越と和光のある交差点のこっち側に丸いビルがあって三愛ドリームセンタービルっていう、あそこが昔は三愛の洋服を販売をしている、で、その中にオープンスペースでレコードを回す係っていのがあって。

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[薬丸]DJっていうのはやっぱり今でいう、キュキュッキュキュみたいな。

[野村](DJの仕草で)こういう奴なんですか?

[田中]キュッキュッキュは、そういうねぇ、ヒップホップ的なんでしょうけど、一応、でも僕はだからそれでテクニクスのレコードプレイヤー、ディスコ用のね、こう回して、あれを2台買って自分の寮の部屋に置いてそれでベストテープを学生の時に作って。

[薬丸]かなりお金余ってないと、そんなテクニクスの・・・。

[田中]そんなことないよ、生協の、当時、今は学生もクレジットカード持ってるけど、生協でローンを組んで・・・。

[野村]おぉ。

[田中]プレイヤーを買いました。

[薬丸]ローン組むこととか親に相談しましたか?

[田中]いや、親の承諾無くても大学の生協もローンは組めたので。

[一同](笑)。

[田中]親は後から聞いて、お前は本当にどこに・・・勉強しなさいってよく言われましたけど、勉強しないからこんな子が出来ちゃったんですね。

*

大学生活を謳歌していた田中さん、就職先も決まりこのまま順風満帆な人生を歩むと思っていた大学4年生の頃、まさかの留年。内定も棒に振ってしまいます。屈辱の大学5年生、とも思えますが、むしろこの一年が人生の転機となったようです。

*

[田中]残念ながら改修工事中ですけど、あそこが時計台があってあの上が大閲覧室という図書室なんですね。そこで最初の作品を書いたんですね。

[薬丸]それをあの図書館でずっと考えていたんですか?

[田中]えーっと、最初の作品は多分、当時、手書きですからね勿論、5月の連休明けから書き始めて5月の最後の日に書き終えて、で『文藝賞』に応募したんですね。

*

大学にもう一年通うことになった田中さん。心を入れ替え勉強しようとこの図書館に通い始めた時、小説の構想が浮かんだと言います。

[薬丸]いや、でもすごいですね、処女作が大ベストセラーになってしまったわけですよね。

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[田中]まぁそれは結果としてですからね。

[薬丸]結果としてですけどすごい事じゃないですか。

[田中]まぁそうですね。その時に生協で、生協の、まぁパソコンなんかノートパソコンなんて無いですからね。原稿用紙で。あとボールペンテルっていう、ペンテルのボールサインペンで書いてました。

[薬丸]書こうと思ったきっかけは何なんですか?

[田中]それは、学園紛争の頃の若者の物語や小説はあるのに、僕らはそうではない。なのに、何故無いのかな?ってずっと不思議に思ってたんです。そしてそれは渋谷の街だけでなくて多分、船橋の街にも川崎の街にも同じような考えをしている若者はいるはずだと思って、で、たまたま留年をしたので、少し法学部でしたので、六法全書でも開こうかなって思ったけど、法律はどうも無味乾燥だなと思って。

[薬丸]じゃぁなんで法学部入ったんですか(笑)。

[田中]ねぇ、だから「ホウガク」間違えちゃったんですよ。で、5月の連休明けから、書いたこと一度も無かったんですけどねホントに。

[薬丸]小説を・・・。

[田中]えぇ。習作も練習も。で、書いてみようと思って書いて。

[薬丸]それは、今、時間を掛けて「俺は天才だ」ってことをお伝えしたかった・・・。

[田中]・・・そういう番組なんだこれ。

[薬丸]えっへっへ。

[田中]そうか・・・、ハメられたなぁ。

*

 こうして誕生した『なんとなく、クリスタル』。東京に暮らす女子大生の主人公を通して描かれる当時の流行や風俗。田中さん独自の視点と文体が話題となりました。更に特徴的なのは、文中に登場するブランドやレストラン等に対し、田中さんならではの註と分析が入っていること。その数なんと442個。このデビュー作がいきなり100万部を超えるベストセラー。第17回『文藝賞』を受賞。こうして田中さんを取り巻く環境は目まぐるしく変わり始めました。

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[田中]本が賞を取ったのが10月で、本が一月に出るんですけど、そうすると渋谷の街とか歩いててもみんながこう(顔を指す仕草)はっはってなんかお尋ね者みたいに指さすようになるわけですよ。全国指名手配みたいになっちゃって。2年生3年生の時に書いてたら就職に行かなかったと思うんですけど、先に、就職と平行してたんで、これはやっぱりまじめにサラリーマンになるべきだ、と思って、で、モービル石油に入って、最初誰でもガソリンスタンドの実地研修ってあるわけです。で、僕はそこの、横浜の元町のスタンドになって。横浜の元町なんでワゴン車が来ると、ハイ洗車!っつって、ハイ!っつってこうやって洗って、満タン!とかって。で、社長の車が来ると、ワックス掛け!ハイ!ってやってるわけ。で、なんか夕方になるとあの辺の女子学生を迎えに来たような男の子が、ここに「田中康夫」ってバッジ付けて作業服着てるんで、女の子が、あれっ?!田中康夫さんだわ!っとかって。で、男の方が、違うよなぁ、おまえ。顔が似てるだけで同姓同名だろって、えぇその通りですっとか言って。夕方になるとナッパ服脱いで、横須賀線に乗って東京に行くと、自分の父親みたいな編集者に「田中先生」とか言われて、なんかこれはジキルとハイドみたいだなって思って。それで研修が終わった2ヶ月目に辞めたんですね。

[薬丸]へぇ、じゃぁ二束のわらじだったんですね。

[田中]まぁ、二束のって両方だって新人研修と単にたまたま初めての作品書きましたって人ですからね。

[野村]なんか、ビーサンと革靴くらい全然違うわらじを履きながらっていう。

[田中]あのー、その後に私の作品は「間違って」芥川賞という名前のところの候補作になったんですけど、そこの選考委員の方々はみんな「10年後に期待する」っつったんですよ。「10年後に期待」ったら「いらねぇ」ってことですからね、早い話が。そして何も描けてないとか言われたんですよ。でも僕は逆に嬉しいなと思いましたね。

[野村]え?

[田中]そういう、箱の中の小説の世界の人達が「何も描けてないと言っているもの」こそ、あなた方が今の若い人の気持ちを描いていないっていうことじゃないの?って多分、当時24,5歳のあたしは生意気にも思ったのかもね。

[野村]今まで無かった小説っていうのはきっと出来たんでしょうね、その時代に無かったし、本の内容としても無かったものが、見た人には新しくて衝撃だったんでしょうね。

[田中]なんかこの、ダイソーで買ったっていう座布団を10枚くらい差し上げたいくらい、ですね。

[野村]はっはっは。

[薬丸]山田君、呼びますか。

[田中]うん。うん。

*

新たな時代を担う注目の作家となった田中康夫さん。その後も独特な視点でさまざまな作品を生み出していくのです。そんな田中さんの意外な素顔をしる人物がいました。

昭和55年、処女作『なんとなく、クリスタル』を生み出した田中康夫さん。ベストセラー出版後も変わることのない友情で素顔の田中さんを見続けてきた同級生がいます。千代田区にある如水会館は田中さんの母校一橋大学の同窓会館として建てられました。

*

[田中]今日は私の友人であり、大変に私の事を詳しく知ってらっしゃる井上寿一さんをゲストでお招きを致しましたので。井上さんよろしくお願いします。

[井上寿一]こんにちは。井上と申します。よろしくお願いいたします。

[薬丸・野村]こちらこそ、よろしくお願い致します。

大学時代、田中さんとゼミのクラスメイトだった井上寿一さん。現在は学習院大学の学長であり、日本を代表する政治学者でもあります。

[野村](田中さんは)やっぱ女の子に好かれてモテモテだったと思うんですけど。

[井上]はい。ある日、田中君のお父様と3人で話をする機会があったんですね。その時にお父様から「井上君ね、康夫は女の子の友達はいっぱいいるのだけど、男の友達がいないから、井上君ぜひ頼むよ」って言われて。

ファッションは親友、田中康夫くんに学んだ 学習院大学学長 井上寿一日本経済新聞

[薬丸・野村]えぇ!?はっはっは。

[井上]すごい使命感に燃えて(笑)。もう殆ど唯一の男友達か?!みたいな、そのぐらい女の人の友達はもうホント山ほど居たですね(笑)。だから唯一の欠点は男の友達が少ない。

[薬丸]ほぇ、なんか話的につまんないよね。

[野村]なんかね、なんかちょっと失敗談とか。

[井上]それでお父様の、心理学の大学の教授をされていたんですね。それである日、一人暮らしの田中君の部屋に遊びに行ったんですけども、デスクの上にですね、お父様の研究書、それが鎮座されておりまして、それでそれを取って説明してくれるの、これはどんなにすごい本かっていうのを。

[田中](笑)。

[井上]で、私達の頃って親のことなんかむしろ馬鹿にするくらいの生意気だったんですけども、田中君はもう、お父様をすごい尊敬していて、で、しかも彼は努力している所とかそういう所を絶対言わないし見せないんですよ。僕は絶対やってると思うんですよ。

[田中]してないよ。何もしてないっていってんじゃん。だけどお二人(薬丸・野村)は信じてないんだけど、ホントに僕が本を殆ど読まない人だってことは認めるでしょ?

[井上]それはその通りです(笑)。三島由紀夫全集はあのー単に、デザインというかファッションとして飾ってたから・・・全然読んでないから。

[田中]だって編集者が三島由紀夫全集と・・・。

[薬丸]なんかインタビューしてて、天邪鬼的なコメントしかないんですよね。

[井上]そう。そう。そう。まぁ、照れて。

[薬丸]照れなんですね。裏返しなんですね、照れの。

[井上]そうなんです。私はもう、田中君とは二人だけの深夜のドライブとか、二人だけの青山・六本木とか、二人だけの沖縄旅行とかあるんですよ。

[薬丸・野村]えぇー?!

[井上]怪しい関係じゃ無いので、一応言っておきますけど。

[野村]そういう時にお話されてた一大テーマ的なものっていうのは・・・?

[井上]田中君、よく青春とは何だとか、生きていくとは何だとか、っていうようなこと、話さないよね?っていうような、『クリスタル』の中にも書いてありますけど、まさにそうで、例えば深夜のドライブに行って東京湾の埋め立て地に行って車を停めるわけですよね。

[野村]ロマンチックな・・・(笑)。

[井上]で、そうすると「ロマンチック」なんですけども、話は全然ロマンチックとはちょっと違っていて、こっち側は真っ暗なんだけど向こう側は東京の灯りが煌々と点いていて、コントラストがすごいんですよ。田中君はそこを説明してくれて、近未来都市みたいでしょ?っていう風に言うわけですよ。それでなんかちょっと崩壊の予兆を持ちながら、あの頃まだ20世紀でしたから21世紀の日本てこういう風景が普通になるのかな?みたいな、そういう話ですよ。

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[薬丸・野村]ほぉーお。

[井上]要するに、あそこが理想であって原点でもある。そういう昭和の時代が1980年の『なんとなく、クリスタル』が描いてる世界なんですね、だから、あの1980年というのは基準で、あそこから日本や世界が悪くなってゆくことに対しては抵抗したいし、あの1980年をもっと伸ばしていく方向に及ばずながらちょっとでも役に立てるようにしたい。

[薬丸]でも、かなりの多額の印税を手にしたと思いますよ。

[井上]はっはっは(笑)。

[薬丸]その使い道は井上さんご存知ですか?

[井上]いやあのーそれこそ大学時代からそれもあんまり変わってなくて、急にお金が入ったから、自分の身に付かないようなモノを買ったりとかっていうことは全然なくってレコードとかも買ったけど、それは大学時代だってちゃんと一杯買ってたから、あんまり変わってないですよね。

[薬丸]100万部も売れてしまうと、ちょっと天狗になる・・というか勘違いしてしまう・・・、当時の田中さんは如何でしたか?

[井上]それが無くって、『なんとなく、クリスタル』が出た時に、それを何冊も持って一緒にちょっと行こうって言って行ったところが、その『クリスタル』に出ているお店に一軒一軒挨拶まわりのようにして、今度この本が出ました、って言って一つ一つ挨拶して廻るっていうので、ホントびっくりしましたね。えぇ。

[野村]今までの破天荒な大学生振りとは全然違った一面が・・・。

[薬丸]そうですよね。

[田中]あの、自分は・・・。

[薬丸]田中さんには伺ってません。

[野村]はっはっは。

[薬丸]ここは井上さんに伺いまーす。

*

ヒット作の裏には飾らない大学生が居たのです。

25歳で売れっ子作家となった田中康夫さん。当時からその創作活動を支えてくれた場所があります。

*

[田中]まぁ、あのー、私の最初の本を・・・。

[薬丸]はい。『なんとなく、クリスタル』。

[田中]えぇ。『文藝賞』を取った、その後何冊か出したんですけどそこの出版社の人と、場所をお借りをして。

[薬丸]あぁ、こちらなんですか!?

[田中]えぇ。とてもCOZYな、こじんまりとしたところで。どうぞお入り下さいませ。

*

大学在学中に書き上げた『なんとなく、クリスタル』。この作品を田中さんは河出書房が主催する『文藝賞』に応募し見事受賞したのです。当時、編集部では田中さんの作品がちょっとした話題だったようです。

*

[田中]ここが、第一編集部という部屋で、まぁこういう所で『文藝』の編集部とか、あと海外の翻訳部門の人とか。彼は吉田久恭さんといって、私の作品を担当して下さった・・・。

[薬丸]はじめまして。

[田中]ずーっと、私に物語の世界をちゃんと書きましょう!って言ってくれた。

[薬丸]これは、撮影用にわざとこのように・・・。

[吉田]そうだと良いんですけども(笑)。

[薬丸]こじんまりした・・・。

[吉田]小さいですね。これが3フロアーあって編集部が。田中さんがデビューされた頃に多分、『文藝』編集部はこのフロアーにあったんじゃないかなと思うんですけど。

[田中]そうそうそう。ゲラですね。

[野村]わぁー!

[田中]こういう、多分これ校閲が入って。

[野村]これ、(映して)良いんですか?!

[田中]まぁ、どなたか分からない・・・。こういうところ。僕の最初の担当だった金田太郎さんというのは、普通は編集者の人が、もうちょっとここは・・・って応募作品でも多分助言をすると思うんですけど、僕は一作目は、こうしましょうってのは受賞した後も何も言われなかったです。多分直し様が無かったんだと思うんですね、ふっふっふ。

[吉田]編集部で下読みってのをして新人の作品を探すわけですけど、伝説かもしれないんですけど、金田さんは田中さんの処女作を読んだ時に「天使が降りてきた」と。

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[薬丸・野村」えっ・・・。

[田中](笑)。

[野村]天使が降りてきた・・・。

[田中]というのは編集部でのそういう・・・。

[薬丸]天使、喫茶店に行きましょうか、天使、喫茶店に参りましょう。

[田中]喫茶店の「店主」として・・・。

*

作家デビュー以来、独自の視点で多種多様な作品を生み出し、更には作家に留まらない活動を続ける田中さん。その源は一体何なのでしょうか。河出書房新社の一階にある喫茶店「ふみくら」。昭和の時代から多くの作家が打ち合わせをしたきたこの場所で、田中さんの活動の原点を伺いました。

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[薬丸]たくさんの本がありますね。

[田中]いえいえ。そんな、あのー全然。私は怠惰なんで、文章を書くのもすごい遅いので。

[野村]この処女作の『なんとなく、クリスタル』からワインの『ソムリエに訊け』に・・・。

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[田中]これはね、田崎真也さんと一緒に、これ多分、90年くらいですよ。だからまだワインブームとかなる前の頃の本で、割合そういう、ちょっと先取り本ですね。ソムリエなんて言葉が知られてない時代。

[薬丸]東京ペログリ日記。

[野村]ペログリって何ですか?!

[田中]これはあの、『噂の真相』っていう雑誌で、その後、週刊SPAでも連載したんだけど、私の「日記」ですね。今はほらネット上で皆さん書くけども、当時ネット社会で無い頃に2000年迄10数年・・・、これが『大全集』というのなんですけどもね。こんな日本のここって変じゃない?!ってこんな政治や経済っていうことを言いながら、色んな女の子とご飯を食べたりどこへ行きましたとか、どこでお泊りしましたとか。

[野村]そんな赤裸々な・・・。

[田中]・・・ワインを飲みましたとか。だから当時は、田原総一郎さんとか私の連載を読んでて「田中君、こんなに一杯君は元気な筈が無い!」って。

[薬丸・野村]はっはっは。

[田中]いや別に僕、ウソ書けないんでって。

[薬丸]でも、その元気の源は何ですか?

[田中]私はほら、神戸の震災とかでも、やっぱり「ヴォランティアも恋愛も行政も政治も人様に喜んで頂いてなんぼ」だってのが私の考えで、だから普通の、俺はすごい男だぞ!って男の人は、それはやっぱり相手の気持ちに立って無い。

[薬丸・野村]んー・・・。

[薬丸]素晴らしいお言葉で締めくくって頂きました。

[野村]はい。

[薬丸]本当に今日は楽しい時間ありがとうございました。

[田中]いやぁ、なんかそういう風に誉められちゃうと、なんかきっと多分、これオンエアー見て、あーあ何かっこつけてたんだよお前とか思っちゃうんですよね、私。

[薬丸]いやぁそんなキレイに編集してくれないと思いますので。

[田中]やっぱり?どうも最初からそう思ってたんですよ。全員今日は嵌める為の丸一日。やられたなぁ・・。

[野村]そんなどっきりじゃないですから!

[薬丸]はっはっは。ありがとうございました。

[田中]いえ、とんでもない。

[野村]ありがとうございました。

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